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沿革

1958年、ドイツナショナルチームが来日。対日本選抜チーム戦がNHKで中継された。その激戦のド迫力に圧倒され、衝撃を受けた若者たちがいた。

当時、私はバスケットボール部の1回生。身長165cmの小兵だったため、練習の努力が果たして報われるかどうか悩んでいた時期だった。そして、想った。

「同じ努力をするなら、このスポーツに青春をかけよう!」

方針転換は早かった。同期の仲間が集まった。岸野、山合、赤松、そして橘。甲南大学アイスホッケー、創部メンバーである。

深江にあった阪神スケートリンクをホームリンクとし、福徳相互銀行から荒木氏を監督に迎え、本格的に練習を開始した。部員の勧誘はまず友人から、そしてキャンパスで口説き続けた。その作戦は、こうだ。

まず、リンクに誘い出し、ホッケーの醍醐味を見せつける作戦。防具を着けさせてマッチに参加させたりもした。これは効果があった。しかし、決定的な殺し文句は“女の子にモテルよ”だった。努力の甲斐あり徐々に部員が集まりだし、滑り出しは順調だった。

以後、幾多の試練が待ち受けているのも知らず。

橘功 談